茶園清水屋

History茶園清水屋の歴史

飛鳥時代

672年
壬申の合戦に軍功があり、賞を賜り、筑紫官として豊前宇佐荘に移居。
(臨川書店・宇治誌より)

平安時代

859年877年
宇佐八幡大神の信託を受けた奈良大安寺の僧行教が朝廷に奏請して、京都男山の当地に八幡神の分身を遷座した際に石清水八幡宮への供をして仕えた。
勅詔により男山麓の清水側へ住むことを許され、清和天皇から清水の号を賜ったと伝わっている。
(臨川書店・宇治誌より)
938年
清水左衛門尉今雄が山城国宇治郡木幡荘に関所を修造。
関守となり木幡荘四圍50町を家領に賜る。
(臨川書店・宇治誌より)
1181年 1182年
清水民部左衛門尉勝秀が木幡荘を南都興福寺領とし、大和官務に公の麾下に属し、地頭となって領地を管掌した。
(臨川書店・宇治誌より)

鎌倉時代

1238年
清水左衛門尉勝宗は氏寺、木幡山観音寺慈心院を建立。
(臨川書店・宇治誌より)

室町~安土桃山時代

1573年1591年
清水家が味方をしていた明智光秀が討たれた為、領地を没収される。然る後に池田輝政に仕えたが、二代目のときに農家になり元禄年間(1688~1704年)に六地蔵から宇治に移居し、茶の栽培・製茶業を始めた。
(臨川書店・宇治誌より)

江戸時代

1751年
宝暦年間頃から代々、清水屋太兵衛を名乗るようになる。
(墓石にて確認)
1789年
寛政年間に清水屋太兵衛の弟、清水屋次兵衛が京都富小路四条下ルで「 御用喜撰御茶製所」を始める。
室町~安土桃山時代
1832年
清水屋次兵衛が一五〇〇件もの京都の商店を集めたガイドブック「 商人買物独案内」を刊行。

明治時代

1868年
屋号を清水屋製茶場とする。

大正時代

1868年
堀井式碾茶製造機を導入し碾茶の品質が飛躍的に向上する。
大正時代

昭和時代

1970年
碾茶の製造を共同で行うため、清水哲男を代表理事として農事組合法人宇治碾茶組合を設立。
1983年
碾茶工場を宇治市白川に移転新築する。
昭和時代昭和時代

平成時代

2010年
清水幹央が農事組合法人宇治碾茶組合の代表理事となる。
2016年
屋号を茶園清水屋に改め、自園自製のシングルオリジン抹茶を中心とした抹茶関連の飲料、商品を提供する「 伍町カフェ」を宇治市宇治壱番にオープンする。
平成時代平成時代